Professional Scrum Trainer
本記事の執筆者である長沢智治は、プロフェッショナルスクラムトレーナー(PST)です。アジャイルやスクラム、エビデンスベースドマネジメントなどについてのご相談はお気軽に。
この記事は、「スクラムのよくある誤解(勘違い)とその対策」シリーズです。
EBMとは
EBMは、スクラムの生みの親の一人であるKen Schwaber氏が提唱し、開発した不確実な状況下における価値の計測のためのフレームワークです。スクラムと同様に経験主義に基づいたものです。EBMを用いることで、変化に適応する意思決定と価値の向上を測ることができるようになります。
これは、組織の戦略に基づいて価値が向上しているか意思決定していくことであり、それそのものがアジャイルの根幹である「価値の向上で進捗を測る」ことであり、言い換えれば、組織がアジャイルになっていることを示すことにもつながります。
EBMは、Scrum.orgのPSTをはじめとしたコミュニティの力も借りて、常に検査と適応を繰り返しており、継続的なアップデートが行われています。それは、「エビデンスベースドマネジメントガイド」として更新されており、最新版は、2024年5月に公開され、日本語を含む各国語に翻訳されています。
EBMは、日本で知られるようになってから5年ほどであり、まだまだ理解が進んでいるとは言えない部分もあります。従って、最初から誤解されていたり、勘違いされていたりということもよくあります。
EBMのよくある誤解(勘違い)
まずは、変化に適応しているとはどういうことでしょうかを見ていきましょう。
仮説を明示的に立て、結果を計測し、それに基づいてゴールを検査し適応させることは、アジャイルでは、もともと組み込まれたものであり、自然に行われていることなのですが、フレームワークや従来のやり方にしばられてしまい、見失われてしまうことがよくあります。
これは、まさにEBMでも言えることであり、従来の癖、習慣、思い込みのもとで解釈してしまうとEBMの本質を見誤ってしまうことになるのです。
では、よくある勘違い(誤解)を見ていきましょう。
- EBMを計画づくりとして扱ってしまう
「EBMガイド」を読み直しましょう
EBMは、従来の全体計画を作るためのフレームワークではありません。また、小さく刻んで小さく計画することに重点を置いたものでもありません。
EBMでは、ミッション、ビジョン、戦略に基づいた「ありたい姿」に近づくためのゴールを定めることで組織やチームが集中できるようにします。これは従来のいつ、何を、(誰が)どう作るのかを定める計画ではありません。ゴールとは「誰のために、なぜそこを目指すのか」を共有するものです。
- EBMのゴールは、中期経営計画と合わせる
「EBMガイド」を読み直しましょう
EBMでのゴールは、戦略的ゴール、中間ゴール、即時戦術ゴールがありますが、これらは予め敷かれたレール(ロードマップ)に従って進んでいくためのものではありません。EBMのゴールは、道しるべであり、ランドマークなのです。状況が変われば、これらのゴールは見直されていきます。
EBMでは、計画を立てるのはゴールの検査と適応を行うタイミングと、「実験」のプランニングくらいです。どちらも長い時間をかけて練り上げるものではありません。その代わりに事実に基づき、頻繁に行われる可能性が高いものです。
EBMでは、「先が読めないのか」と不安になるかもしれませんが、そもそも変化していく状況下でのマネジメントとは「先が読めない前提」のものとなります。先が読めるならば、従来のやり方で計画に時間をかければよいでしょう。
- EBMはマネジメントだけのものだ
「EBMガイド」を読み直しましょう
EBMは、組織やチームが事業やプロダクトのために用いるフレームワークですが、マネジメントだけのものではありません。EBMを実践するに当たっては、マネジメントが主導するのはもちろん重要です。これは言い換えれば、マネジメントの視点で「アジャイルを実践する」ことだからです。
しかしながら、EBMはマネジメントのためだけのものではないのです。マネジメントがアジャイルを実践することで、現場チームも当然アジャイルを実践しやすくなります。逆にマネジメントが硬直化した変化に対応しにくい計画に縛られてしまうと、現場も硬直化したソリューションしか生み出せなくなってしまいます。
EBMでは、戦略的ゴールを「司令官の意図」としてマネジメントが示すとともに、それに基づいて組織が注力する中間ゴールに向かって、現場チームが自分たちで設定したゴール(即時戦術ゴール)に向かっていく仕組みがあります。すなわち、現場チームの自律性が組み込まれているのです。これは、はじめから自律したチームを求めているのではなく、EBMの仕組みにより現場が自律していくことを示唆しています。
従って、EBMはマネジメントだけのものではないのです。
- EBMのゴール設定と重要価値領域は連動しない
「EBMガイド」を読み直しましょう
EBMでは、変化に適応するゴール設定(ならびに実験のループ)と価値の向上(アウトカム)を測る重要価値領域を紹介しています。それぞれ別の図を用いるため、これらが連動していない、それぞれ別個に検討すればよいと勘違いされることがよくあります。
しかし、実際はこの両方があることによって、変化に強いマネジメントにつながるのです。
- ゴール設定: 道しるべ
- 重要価値領域: 羅針盤(コンパス)
どちらか一方では、迷子になってしまうか、より安易なやり方に逆戻りしてしまうだけです。
- EBMの重要価値領域は、指標を測ることだ
「EBMガイド」を読み直しましょう
EBMの重要価値領域は、Four Keys に代表される決まった指標を測ることを指しているわけではありません。特定の指標を測ればよいとは一言も書かれていないことに注意してください。
重要価値領域とは、アジャイルの本質でもある「価値の向上」を測るための領域を提示しています。
- 現在の価値(CV)
- 未実現の価値(UV)
- イノベーションの能力(A2I)
- 市場に出すまでの時間(T2M)
それぞれについて、特定に指標を測れとも、これさえ測っていればよいとも定めていないのです。これらは組織、プロダクトによって異なりますし、状況の変化、成熟度によっても異なるのが当たり前です。他社事例などの「半分だけ正しい」に惑わされる必要はありません。
- EBMのための会議体が必要である
「EBMガイド」を読み直しましょう
EBMガイドには、スクラムガイドのように「イベント」、「責任(役割)」、「作成物」について一切触れられていません。
これは、これらについて曖昧にしているのではなく、そもそも触れる必要がないものだからです。EBMは、意思決定と価値の計測のフレームワークです。これらについて問題解決のためのフレームワークであるスクラムと同じようにイベント(会議体)が必要になることはありません。言い換えればフェーズによって必要な会議体は行えばよいですが、常に必要な会議体も、必須な会議体もありません。
EBMではルールで縛ることもありません。「事実に基づき、価値が向上しているか、そのために必要な意思決定を行う」ものですので、強制するような材料は一切必要としません。
- EBMのエビデンスとは厳格なものであり、時間をかけて測っていくアウトカムだ
「EBMガイド」を読み直しましょう
不確実な状況下とは、誰もが正しいと言えるエビデンスを収集し続けることは不可能に近いものです。むしろ、そのときどきに応じた事実を確認し、その事実に基づいた仮説を検証することを重視すべきです。
すなわち、EBMでのエビデンスとは「今わかっている事実」を指すのです。その事実の収集と分析に多くの時間を割くのではなく、仮説の検証(≒実験)で新たな事実を収集するための土台とするのです。
分析麻痺や測りすぎを助長するのは、EBMではありません。
因みに、EBMで計測する指標のそのほとんどは「アウトカム」です。アウトカムは結果指標的な性質であるため、測りにくく、計測には時間がかかるものです。だからといって安易なアクティビティやアウトプットを代替指標(先行指標)とするには因果関係はなさすぎです。そのため、アウトカムは常に計測していく中で、傾向として見ていくのがベストです。この点においても厳格なエビデンスはそこまで重要ではないことがお分かりいただけるでしょう。
- EBMにもタイムボックスがある!
「EBMガイド」を読み直しましょう
EBMにおける各レベルのゴールにも、実験にも明確なタイムボックスはありません。
それぞれのレベルのゴールの目安を提示するとそれをタイムボックスとして扱おうとするのをよく見かけますが、必要のない時間縛りは害悪でしかありません。勘違いしないようにしましょう(なので、ここでも各ゴールの時間目安は示しません)。
ひとつ例外があるとすれば、EBMとスクラムを用いている場合です。例えば、「即時戦術ゴール = スプリントゴール」とする場合、または「実験 = スプリントゴール」とする場合は、スプリントの固定長による集中の恩恵を受けるべきです。
また、即時戦術ゴールや中間ゴールに明確な時間制約がある場合は、その期日を考慮する必要があります。例えば、開催時期が明確な発表会や展示会などがそれです。
誤解や勘違いをしないための対策
EBMの誤解や勘違いをできるだけ減らしていきたいものですが、誤解や勘違いにフォーカスしすぎると価値を生み出す方にフォーカスできなくなる危険もあります。そこで私が誤解や勘違いに効果があると思っている事柄を挙げておきます。
- EBMガイドの読み合わせを行う
EBMガイドは一人で読んで理解するのもよいですが、せっかくですので、チームで、関係者全員で読み合わせすることをおすすめしています。これにより共通認識が醸成されると同時に、疑問を吐き出すきっかけづくりができます。私がアジャイルコーチとして参画する際には、ほぼ確実にEBMガイドの読み合わせをしてもらい、その状況を観察させていただくようにしています。 - コミュニティに参加する
コミュニティには、あなたの悩みをすでに通過した人、今まさに同じ悩みを抱えている人、これから同じような悩みに突入する人が集まっています。したがって、この場に身を置くことで、自身と他者の差分を感じ取る(知るまで意識しなくてもいいです)ことができます。また、あなたの経験と知識が他者の手助けになることも知ることができます。また、コミュニティとは社外コミュニティだけをさしません。社内コミュニティ、いわゆる(CoP: プラクティスコミュニティ)を強く推奨します。やり方がわからなかったらご相談ください。 - 誤解や勘違いを恐れず実践する
誤解や勘違いは、他人に知られると恥ずかしいものです。でも自分自身やチームでならそこまで恥ずかしくありません。誤解や勘違いを恐れて実践しないよりは、実践して自分たちでこれらに気づく方が心理的にもリスクの観点からも楽です。「何がわからないかは、わかるまでわからない」ものなので、実践により誤解や勘違いを発見し、適応させていきましょう。 - アジャイルコーチを雇う
自分たちだけでは心許ない、できるだけ早くなんとかしたいなど、事情は現場それぞれなはずです。そこでアジャイルコーチを連れてきて、伴走してもらうことも検討してみましょう。
本記事の執筆者:
長沢 智治 - アジャイルストラテジスト
- サーバントワークス株式会社 代表取締役
- プロフェッショナルスクラムトレーナー(PST) 《日本人初》
- Agile Kata Pro 認定トレーナー《日本人初》
- DASA 認定トレーナー(プロダクトマネジメント、DevOps)
認定トレーナー資格
『EBM実践ガイド』「プロフェッショナルアジャイルリーダー』『More Effective Agile』、『Adaptive Code』、『今すぐ実践!カンバンによるアジャイルプロジェクトマネジメント』、『アジャイルソフトウェアエンジアリング』など翻訳・監訳書多数。『Keynoteで魅せる「伝わる」プレゼンテーションテクニック』著者。
Regional Scrum Gathering Tokyo 2017, DevOpsDays Tokyo 2017, Developers Summit 2013 summer 基調講演。スクー講師。
プロフィール